社友のお便り

筆者近影

筆者近影

私は１９８２（昭和５７）年の春から３年間アフリカのタンザニアに駐在しましたが、この国は前２回の駐在地（シンガポールとベルギー）とは大きく趣を異にする所でした。そこで、この地で私が体験した貴重なエピソードをご紹介しましょう。

はじめに、そのころの当国はどのような状況にあったかについてお話ししましょう。タンザニアは１９６１年の独立以来ニエレレ初代大統領が社会主義的政策をとってきましたが、その頃は北西の隣国ウガンダへの数年にわたる軍隊派遣等もあって経済は極度に疲弊し、首都ダルエスサラームでも外貨不足から衣類や石鹸・歯磨き粉・トイレットペーパー・タオル等々の生活必需品が払底して、商店の棚には何もないという状態が続いていました。その為に治安状況は略奪や強盗が頻発するという最悪の状態で、これはウガンダからの帰還兵の武器がほとんど野放し状態であったことも大きな一因でした。私がいた３年間で、ＪＩＣＡ・海外青年協力隊の共同事務所が白昼強盗団に襲われて金庫内の現金はもとより腕時計まで金目のものは根こそぎとられ、最後に逃走用に車まで持っていかれましたし、更に日本大使館まで夜間強盗に入られたりしています。

このような状況下では、まずは「自身の安全」を如何に図るかが最大の関心事になるわけで、それは自分の住まいでの安全の確保と言う問題につながります。私が住む家には３００坪ほどの庭があり、昼間（６～１８時）は庭師兼門番が一人、夜間（１８～６時）は警備会社からの夜警二人の保安体制で、ここにジャーマン・シェパード雌雄２匹が加わります。彼らはロンドンから直輸入した血統書つきの優秀なワンちゃんたちで前任者から引き継いだものですが、最高に頼りがいのある働きを示してくれました。

彼らの名前はジュピター（雄）とジャッキー（雌）といい、日本では犬を飼った経験もない私でしたが、彼らの食事だけは使用人任せにせずに毎夕自分であげることで主人の立場を確立したのです。彼らが食べるのは現地の人たちの主食であるウガリ（トウモロコシの粉）と骨付きの牛肉・豚肉を大鍋に一杯にして朝から数時間煮込んだもので、人間様より贅沢では・・・と言えるものでした。

そして、駐在初年度の８月に家族が来る前の単身赴任中にその事件は起こりました。その晩は他の商社マンの家でマージャンをして、車は運転手に自宅まで持って帰らせ車の鍵を夜警に預けさせることにしました。その深夜、麻雀メンバーの一人に送ってもらい帰宅してみると家の門が大きく開け放たれて、そこにジュピターとジャッキーがしっかりと前を見据えながら私を待っていてくれたのです。何が起こったのかと恐る恐る中に入ると車と夜警が消えていました。その晩一人の夜警が病気で休んだため、残るもうひとりの夜警が大きな宝物のような高級車（日産セドリック２８００ｃｃ）を預けられて偶発的な出来心で車を奪って逃げてしまったのです。

しかし、私は車が盗られたショックよりもジュピターとジャッキーが逃げもせず昂然と胸を張って門の方をにらみ家を守っていてくれたことに大感激しました。その後、私はこの２匹の忠犬に全幅の信頼を寄せたのは言うまでもなく、又家族の到着後はこの２匹と一緒に郊外のビーチに行って、きれいな砂浜の海岸を走り回ったり泳いだりして三人の子供たちの格好の遊び相手になってくれたのです。

ある日、塀を乗り越えて侵入した泥棒が庭に干してある衣類を取って逃げようとした時には、ワンちゃんたちが大きく吠えてわが使用人たちにこれを伝えて泥棒を取り押さえたこともあります。又、隣家のイタリア人が休暇で本国に帰っている間に強盗が押し入り、留守番の使用人が後ろ手に縛られて玄関先に転がされたことがありましたが、隣家には犬はおらずわが家の夜警も怖くて声もあげられませんでした。我が忠犬たちだけが深夜大きく吠えたために、私が目覚めて隣家との間の金網越しにこの事態を確認して（賊は既に逃亡していましたが）警察に通報したこともありました。植民地時代の名残なのか欧州人の仕込みのせいか、現地の人たちは犬を結構怖がる傾向があります。

ところが、赤道直下のこの地の過酷な気候は毛足の長いシェパードには殊更に厳しく、足の指の間や首輪の下などには吸血鬼の如きダニが猛烈に繁殖するので、毎夕これを取ってやるのが日課なのです。それでも、結局それから１年半後に先ず雄のジュピターが逝き、更にその３か月後には雌のジャッキーも後を追うように亡くなってしまいました。ともに６歳位でしたが、本当に身近な存在であった動物の死に初めて直面した子供たちの嘆き悲しみようは大変なものでした。その後、二代目のシェパードの若い雌雄をロンドンから空輸してもらい、彼らはジュピターとジャッキーの名前をそのまま引き継いで我が家の安全に大いに貢献してくれて、私の離任後は後任者にしっかりと引き継がれていったのです。

車の盗難事件はその数日後、逃げた夜警と車がダルエスサラームから３００㎞程離れた地方で警察に確保されて戻ってきましたが、車の両側はボコボコにへこみ、捕まった時に村人たちからボコボコにされた夜警は頭に包帯をぐるぐる巻いていました。そして後日、この夜警の裁判では私は原告として出廷し、彼は５年の懲役刑に服することになりました。

尚余談ですが、私はシンガポール時代にタバコの吸殻を道端に捨てて、被告として簡易裁判所に出廷したこともあり、海外での裁判で原告・被告両方を経験したことになります。